空っぽの部屋に、シロツメクサを。/サンプル - にけ様

 冷蔵庫。電子レンジ。シングルベットに小さなガラステーブル。必要最低限のものだけが置かれている室内があった。その部屋は殺伐としていて殺風景で、生活感がまるで無かった。その部屋に一人、少女の存在だけがはっきりとあった。少女の存在だけが息をしていた。
 少女は体育座りをしていて、それでいてどこか遠くを見つめていた。涙は枯れないという。しかし少女は泣くのにはもう疲れきっていた。消失感と疎外感。世界とこの室内の空間が切り裂かれていて、どこか、ひとりぼっちのようなそんな感じ。
 下の方で緩く結わえている黒髪が目に留まる。ただそれだけだった。食欲は無かった。睡眠欲もなにも少女には発生しなかった。ただ疲れたとそれだけが少女の内で泣き喚いていて。もういやだ、もういい。何度も何度もこの世界と切り離れたくて、幾度となく無視をした。

秋冬、そして春/サンプル - にけ様

 白い息を吐き出すことで、寂しさを紛らわせるということを覚えたのは最近だった。
 とはいえ、それは冬にしかできないのだけれども。それでもこれはきっと僕にとって一種の自己満足だったのだろう。はぁ、と一息吐けば、薄暗かった景色はたちまち白く染まってゆく。その霧がかった景色さえもが、僕を寂しさの窮地に立たせているようにも思えたけれども。でも、その様を見ることが僕の唯一だった。もう、何もかも白く染まってしまえばいい。

 秋の始まりだった。緑と黄緑と光の加減で少し眩しい黄色に見えていた。そんなたくさんの葉が、もう若干紅葉に染まりつつあるときだ。僕達は帰り道を歩いていた。二人の間には微妙な距離があり、その間を精一杯の木枯らし達が駆け抜いてゆく。恋人という名のものになった僕達は何処か気恥ずかしくて、触れるか触れないかのお互いの手に意識を集中した。ちろりと目が合ったかと思えばすぐに目を逸らすような、そんなまだなにも知らないような関係だった。

コンソレシオン/サンプル - ゼン太

 海岸線にいくつものヨットが浮かんでいる。
風に煽られた海面が激しく波立つ度、子供たちの甲高い悲鳴が上がった。
色とりどりのパラソルで彩られたビーチは、色とりどりの水着の男女で埋め尽くされている。
サングラスをかけたグラマラスな女性、その女性を口説こうと策をめぐらせる男性、そしてその男性を口説こうとする屋台の女性。
喧騒に紛れて、少女は白いワンピースをはためかせ、太陽の照る砂浜を走る。
ワンピースから伸びる四肢はふっくらとして、日に焼けていた。
麦わら帽子から垂れる黒く艶のある髪が、足音にあわせてはたはたと跳ねる。
絡みつく砂と熱気を掻き分けて、少年は離れていく白い背中を掴もうと手を伸ばした。
空を切った指先は、ひらめくワンピースの裾を握り、力強く引き寄せる。
彼の脳裏に嫌な予感が走るも時既に遅く、二人はもつれ合うようにして、地面へと倒れこんだ。
ぐるりと回った視界、雲ひとつ無い空が広がる。
「いたた……口の中に砂入っちゃったよ」
「ごめん、怪我してない?」
慌てて立ち上がった彼は手を差し伸べて、彼女を立ち上がらせた。
麦わら帽子やワンピースについた砂を払うのを手伝い、気持ち悪そうに口元を拭う彼女の顔を覗き込む。
ぱちりとあった目。彼女は意地悪そうに微笑むと、少年の鼻の先を摘んで引っ張った。
「うわーっ、だから、本当にごめんってば」
「ええ? 私はなにも気にしてないよ、ただ何のために、裾を掴んだのか知りたくてね?」
「不可抗力だよ!」
最近覚えたばかりの単語を口にして、少年は少女を置いて逃げ出した。
***
彼はふと机の上に広がる楽譜を見つけて、彼女へ問いかけた。
家の外で聴いてから、彼の頭には曲名も知らない穏やかなメロディが鳴り続けている。
彼女は楽譜を後ろ手で隠しながら、口元に指先を当てた。
「なんだとおもう? 調べておいでよ。ヒントは、そうだね、六つの詩的思考、かな」
「教えてくれてもいいだろ。練習中?」
「うん、そうだね。私もこの間ようやく楽譜をもらって……、大好きな曲だよ」
自らが滑らかに奏でる未来を想像して、彼女は幸せそうに微笑んだ。
ちらちらと雪が降り出し、窓が白く曇り始めている。ぼやけた住宅街の輪郭が、じんわりと溶けていった。
「お前なら、綺麗に弾けるよ」
不意に零れた言葉に、彼女が瞬き、その視線にたじろいで目をそらす。
真っ直ぐに彼を見る彼女の目が、電球を映してきらきらと光っていた。
きっと彼女はきらきら光る舞台の上で、きらきら光る衣装を纏ってピアノを奏でるのだろう。
雪も溶ける優しい指先で。
「そうかな。君がそういうなら、できる気がする」
照れたように頬を掻き、自信なさげに彼女は微笑んだ。
自分じゃなければそう思わないのか、とか、一瞬抱いた下らない期待を、少年は投げ捨てる。
彼には今、彼女が目の前にいるだけで幸せだった。
「できたら聴かせろよ、約束」
「うん、楽しみにしててね」
差し出した彼の小指に、彼女の小指が絡む。ぎゅっと握り締めて、リズムにのせて上下に振った。
「だから、それまでに曲の名前調べておいてね。見つかったら教えて、約束」
「ん、やくそく」

SolitaryTyphoon/サンプル - ゼン太

「大封神って知ってる?
 噂によると、彼らはすべての書物から抹消された邪神で、過去に犯した罪を贖うために人間の願いを叶えるんだって。
 呼び出す方法は、太陽が沈んだころ、最寄りの神社に向かって、四度の定型句と合掌の後に願いを言うこと。
 彼らがその願いを気に入れば、願った人の前に姿を現し、手助けをしてくれる。
 ただしそれが、望んだ形であるかは、定かではない。インターネットで最近話題になってるんだけど」
年齢より幾分か幼い風貌をした友人は、彼にそう話した。
黄色味を帯びた瞳が真っ直ぐに少年を捉え、真意の読めない笑みを浮かべる。
彼は他人事のように、その話題を聞き流した。
「ああ、最近神社が騒がしいと思ったら、そんな噂があったんだ」
「うん、興味本位で神社に試す奴が急増しててね。神主さんも呆れているみたいだよ」
苦笑交じりに話しているうちにも、それらしい噂は少年の耳に次々と入り込んできた。
「気に入らない奴に一泡吹かせたい」だとか「先生たちを病気にさせて学校を休みにさせたい」だとか、そんな学生らしい悪意に満ちた不穏なものばかりで、思わず溜息が漏れる。
夜に突然神社を訪れてそんな願いを四回も唱えられたら、神社としてもはた迷惑極まりないだろう。
少年は我関せずを通すつもりで話題を切り上げ、猫の缶詰を鞄から取り出した。
***
 目の前に現れた神は、少年の姿を認めると、にっこり微笑んだ。
街灯が一際大きく瞬いて、その命を終える。
陰に隠れた神の顔を、少年は呆然と見つめていた。
人の形をしている神。それは紛れもなく、少年に大封神のことを教えた張本人だったのだから。
絶句する少年を差し置いて、神は月夜に腕を広げた。
「君の願いは聞き届けたよ、君の手が汚れる事なく、心底後悔するように、"彼ら"を裁いてあげる」
黄色い目が暗闇に光る。クラスでの陽気な雰囲気とは違う、くらい笑みに背筋が凍った。
少年は神を見つめたまま、頷く。彼が本物の神がどうかは少年には関係なかった。
彼が求めているのは、公正な裁きだったのだ。

いのちのかたまり/サンプル - 安住味醂

「だって、私は魔女なんだもの」
 溢れていた涙が、一瞬で引っ込んだ。
 その男の姿に、少女は悪戯が成功した子どものような笑みを浮かべた。男の手を引いて、少女は家の中に入った。男も後に続いた。
 家の中はこじんまりとしていて、生活観に溢れていた。動揺して固まった男の背を押して、半ば無理矢理椅子に座らせると、少女は食事の準備を始めた。男は呆然と辺りを見渡す。家は、誰かと一緒に暮らしているらしく二人分のものが多くあった。椅子や二段になっているベッド。二つある同じ皿。少女は『誰か』と暮らしているのか、と男が考えていると、ふと違和感を感じた。注意深くそれらを見ていると、最近はあまり使われていないことに気が付いた。少女は、もう『誰か』と一緒に暮らしていないのだ。
 竃から焼きたてパンを出し、ビーフシチューを皿に盛る。それを運び終えた少女は手早くサラダの用意をする。レタスとトマトを洗い、水を切って盛り付ける。その上からドレッシングをかけて完成だ。少女の様子を見ていた男は、その光景に首を傾げた。
「どうして、そんなにたくさん作っているんだ?」
 見たところ、『誰か』が居なくなったため少女は一人で住んでいるというのに。少女が用意している食事の量は、明らかに数人分だった。パンも、ビーフシチューも、サラダも。一人では絶対に食べきれない量。男の分を差し引いても、有り余る程あった。男は少女に疑いの目を向ける。誰かと通じて、自分を嵌めるつもりではないかと。
「占いでね、人が来るって言っていたの。男の人だって分かったんだけど、男の人ってどれだけ食べるか分からなくて……多すぎたかしら?」
 振り返った少女は苦笑を浮かべていた。男の疑念は晴れていない。だが、少女は気にしていないかのように、食卓に料理を並べる。この中に何か入っているのではないか。男は疑いの目を料理へ移す。
「さぁ、ご飯にしましょう。安心して、毒なんて入っていないから」

都市伝説考察クラブ/サンプル - 安住味醂

「『紫の鏡』という言葉を知っている?」
 僕の向かいに座っている桜が言う。知らないわけがない。僕が小学生くらいの時に流行った都市伝説だ。
 僕と桜は放課後の空き教室に居る。大学受験を控えているというのに、桜は参考書を広げている僕を余所に読書をしていた。読んでいる本のタイトルは『都市伝説考察』。桜は都市伝説が好きで、よくその関係の本を読んでいる。受験生なのに焦りも感じられない。僕は推薦入試に落ち、センター入試を狙っているのに、桜は何もしていない。放課後、こうやってよく一緒にいるけど、勉強をしているところなんて一度も見たことがない。テスト前も、模試の前も、彼女は勉強せずに読書をしていた。
 僕は問題を解く手を止める。
「知ってるよ、昔流行っていたから」
「でも、どうして『紫の鏡』だと思う?」
 変わった都市伝説だとは思う。その言葉を覚えているだけで死ぬのだから。でも、何故死ぬのか分からない。口裂け女のように殺される、という表現が使われていない。何かに殺されるのか、その言葉が呪う相手の印になるのか、そう考えたところでそれが正解かなんて僕には分からなかった。
「そんなこと、分からないよ」
「じゃあ、教えてあげるわね」

  *

 ――でも、聞かずにはいられない。不思議な力に吸い寄せられるかのように、僕はその答えを知らずにはいられなかった。
 桜の唇が言葉を紡ぐ。薄紅色の血色のいい唇が、三つの音を紡いだ。の、ろ、い。殴られたかのような感覚が僕を襲う。
「そう、全ては自分を殺した相手を呪うため。呪いを神に頼むことだってあるわ。だから、別に不思議なことではないでしょう?神が宿るものなんて、そうそう身近にないのだから」