青黒いロア/サンプル - 安住味醂

「最近学内で、あるチェーンメールが流行っているのは知っているか?」
 新聞部部長、村崎清京の言葉で、須ノ前アキラは顔を上げる。机とホワイトボードとパソコン机に置かれたノートパソコンとプリンター。それだけ置かれた小さな部室が、新聞部の心臓部だ。ここで数々のものを取材し、記事にしてきた。今日は新しい記事に何を書くかの会議だ。その最中にも関わらず、アキはうとうとと舟をこいでいた。
「例の『ロア』のチェーンメールですよね、部長」
 続くようにやや長めの黒い髪をした、二年生部員の安住美加登が言った。清京は深く頷くと、ホワイトボードに大きく『チェーンメールを広めた人を調査しよう』と書いた。確かに面白そうな企画だと思いながら、アキラはその文字を見つめる。
「チェーンメールの発信元は誰か、面白いから調査してみようではないか!」
「そのまんまですね、部長」
 素早く、鋭い突っ込みを入れたのは白い肌、赤く色づいた頬、長いストレートの黒髪を持つ学年一の美少女と噂されている副部長の雪下白雪だ。続くように、一年生部員で清京の妹でもある村崎沙世が笑った。顔を赤くして、清京が「五月蝿いぞ、ユキ」と声を上げる。白雪――ユキはそれを鼻で笑い、「キョウは相変わらずね」と言ってポケットから自分のスマートフォンを取り出した。慣れた手つきでそれを操作するユキに、清京――キョウがそれをよく思わず、文句を口にしているとユキが勢いよく立ち上がり、キョウの目前にその画面を突きつけた。
「これ、例のチェーンメール。私の所に届いたの」
 キョウは目を丸くし、画面とユキの顔を交互に見つめる。そして、「ナイスだユキ」と声を上げ、部室にあるノートパソコンを起動した。我慢できなくなったのか、サヨが明るい茶色のショートヘアを揺らしながら、ユキの背後からスマートフォンの画面を覗き込む。サヨは「変わってますね、このチェーンメール」と言葉を漏らした。ユキが頷き、スマートフォンを操作する。アキの座っている位置から見えるパソコンのデスクトップに新着メールが届きました、というメッセージが表示された。キョウはそれを開き、すぐさまプリンターの電源を入れて印刷する。
「人数分刷れるまで時間がかかる。その間に大まかな説明をする」
 ガッガッガッ、と耳につく音を立てながらプリンターは動く。古いものなので、動作も遅い。
「まず、このチェーンメールはよくある、見ると呪われる、呪いから逃れるには他の人にメールを転送しろという内容じゃあない」
 刷り終わった一枚目を手に取り、それをアキたちにも見えるよう、キョウはホワイトボードに張り付けた。信じようと、信じまいと――。その一文から始められた文章は、どこか不気味さを感じさせた。アキの隣に座る、ミカが息を呑んだ。
『信じようと、信じまいと――
 このメールに貴方の知るロアを一つ加えて、一人の人間に送れ
 そして、この中のロアについては十までしか教えてはならない
 もしこれを破れば、貴方の身に何が起ころうと、僕は保障しない
 私の名はロア。いつか事実を知る日まで――』


体温差分の思考と想いと。 - にけ様

 本を半分ほど読んだ。今何時かは分からないが、まだ本鈴は鳴っていない。もう今日は一日ここで過ごすのもいいかもしれない。私は視界の邪魔になる髪を耳にかけながら文字を追ってゆく。その時だ。
「お、いた」
 ガラリと扉が開き、予想をしていなかった私は勢い良くそちらに顔を向けた。とっさに立ち上がってしまったため、本の落ちた音が二人の間に響く。開いた扉の向こうにいたのは、男の人だった。緩めた緑のネクタイに踵のつぶされた上履き。流した黒の髪に銀の輪のピアス。ピアスは見えなかったが、十中八九校庭にいたあの男の人だろう。少し垂れ気味の目や口角の上がった口元は悪戯が成功したかのように、愉快に笑っていた。
「……何の用ですか」
「ここってさ、鍵かかってなかったっけ?」
 私の問いかけを軽やかに流したその人は、真っ先にコンセントの所に向かう。
「あ、俺冬馬。東谷冬馬。よろしくな」
 にこりと、先ほどとは違った笑顔で、歩きざまに此方へ振り向いて言う。私は意味が分からずに、その人――東谷冬馬の再び歩き始めた背を見つめる。歩いた先、コンセントのところに彼はしゃがみ込み、自身の鞄を漁る。中から取り出したのはスマートフォンの充電器だった。彼は充電器をコンセントに差し、またも鞄から取り出した自身のスマートフォンをそれに繋ぐ。ピコンと充電を開始させた音が教室内に響いた。
「名前」
「え」
 後ろを向いたまま、表情の分からない彼がぽそりと呟く。本と机を背に、彼の方へ向いていた私は、彼のその言葉に何の意味も含まれていない一音を発した。そんな私の言葉を合図にしたかのように、彼は私の方へ顔だけを向けるように、少し体を揺らした。
「君の名前、なんていうの?」
 八重歯を見せて笑う彼に、毒気を抜かれたように私の力んでいた肩がすとんと下りる。
「……賀川、夏です」
「夏ちゃんか」
 先程の笑みからさらに瞳を細くして、彼は再び笑った。私の名前を聞くなり、いきなり下の名前呼びをしてきたところを見ると、社交性が高いのだろう。
 私とはまったく正反対の人物だと、そう感じた。
「……何の、用ですか」
 先程と同じ言葉を、もう一度言う。
「用はないよ。ただ見えたからね」
 彼のその言葉に、私は気付いた。そうだ、私から見えるのなら校庭にいた彼から見えてもおかしくないのだ。しかしだからといって、全く知らない女のいるところへ来るのだろうか。社交性の欠片も持たない私には分からない精神だ。
「授業はどうしたんですか」
 もうとっくに本鈴は鳴っていた。しかも二回。もう二時間目が始まっている。私はもう一日、いや荷物は教室だから、とりあえず昼までは此方にいると決めているからいいものの彼は授業があるはずだ。もう始まっていると分かれば、慌てて出て行ってくれるかも知れない。そんな淡い期待を抱いて私は彼に問う。
「夏ちゃんさー、俺が校庭でサボってたの見てたよね」


偏向ロジック - ゼン太

 彼女が家出をしたかもしれない、という選択肢は持たなかった。きみはどこまでも盲目で一途だ。
 携帯の画面を開いて、志茂月香穂の住所を確かめる。見ず知らずの人間が、このような時間に尋ねるのは不躾だとは、きみも分かりきっていた。しかしきみは決行した。できるだけはやく、煙のように消えてしまった彼女に近づきたい。その一心だった。
 見えたのはうすいベージュの壁。そして緑色の屋根だった。彩度を失っていない家の外観は、つい先日建て替えたばかりだという話を思い出させる。きみは表札の「志茂月」の文字を確認したあと、インターホンを押した。
 ドアに取り付けられた月の飾りが揺れる。エコーするような呼び出し音のあと、応えたのは気弱そうな女性の声だった。
「夜分にすみません。すすきが丘高校、二年三組の小田実と竹下帝と申します。香穂さんについて、少々お伺いしたいことが……」
 きみが最後まで言わないうちに、通話を切るノイズがした。続いて、ぱたぱたと床を鳴らすスリッパの音。極めつけに荒々しい音を立てて扉が開かれ、中から女性が飛び出してきた。志茂月香穂によく似た(というと語弊がある)小柄な女性だった。彼女はきみにすがりつくように飛びつき、その手を握りしめる。
「香穂のお友達? 香穂がどこにいるのか知っているのね? そうなんでしょう、ありがとう、ありがとう!」
 面食らったきみは数度瞬くことしかできず、言葉をかたちにする術を忘れてしまった。
「落ち着いてください」
 尚も言い寄る女性の興奮に、竹下帝の水を垂らしたような冷たい声が、文字通り水を差す。きみは我に返って、ポケットに用意していた学生証を取り出して、女性に差し出した。
「申し訳ありません。僕たちは香穂さんの行方を知りません。僕らは香穂さんを探したくて、それでお話を聞きにきました」
 きみの存在を証拠づける学生証を受け取って、女性は疑るような視線を頭の先から足の先まで一周させる。
 女性は落胆を隠さなかった。汗ばんだ手のひらをぱたりと離して、ゆっくりとした所作で門扉を開ける。
「……入ってください」
 平常心と、底知れぬ不安を取り戻した彼女の発した声は、志茂月香穂によく似ていた。落ち着いたハスキーボイス。やわらかな明かりに迎えられ、きみは彼女の背中に深く一礼した。


 きみが案内されたのは、白光電球がつるされたダイニングだった。彼女がコーヒーを淹れている間、やり場のない視線があたりをさまよう。夕食の時間帯だというのに、テーブルにはおろか、キッチンにも食事の支度はされている様子はなかった。作る気力もないというような萎れぶりは、彼女が両親の愛を一身にうけて育ったことがうかがえた。
「どうぞ」
 テーブルに出された三人分のコーヒーが、白い湯気を立ちのぼらせる。
「ありがとうございます」
 きみはカップを手で包み込んで、冷え切った指先を暖めた。きみが前もって志茂月香穂の母親に伝えたことは、二つ。一つは、きみが志茂月香穂と中学校からの同級生であり、同じ役職をともに続けてきたこと。もう一つは、今朝届いた怪文書のこと。一つ目の情報は母親を幾分か安心させ、もう一つの情報は彼女を戦慄させた。
「それで……、僕たちも香穂さんを探したいと思っています。竹下はともかく、僕は帰宅部ですから時間もあります。香穂さんと最後に連絡を取った時間と場所を教えてください」
 前もって用意していた台詞をそらんじて、きみは向かいに座った母親を見つめる。何もできずに手をこまねいて、もどかしい気持ちは母親も同じらしく、時折下唇を噛んでは俯いていた。
「でも、香穂が、さらわれていたとしたら、加害者がいる、ということなのよ」
 彼女は途切れがちに、そう口にした。
「それであなたが危険な目に遭うのは、よいことではありません」
 きみは黙って、彼女の話をきいた。もしきみが危険に巻き込まれたとき、香穂はそれを望んでいないこと。警察の手でわからないことが、一介の学生にわかるはずがないこと。しかしその言葉は、誰かの言葉を借りたような、不完全なかたちをしていた。強く触れば壊れてしまいそうに脆い。彼女とて、自らの足で、手で、娘を捜したいに違いない。しかし、無茶をして危険を侵しかねない愛情と熱意を、警察は許さなかった。
 彼女が再び沈黙したとき、きみは深く息を吸った。コーヒーの香りが体中を駆けめぐり、脳を明瞭にしていく。
「僕は、志茂月さんのためならなんでもできますから」

染まる - 三井心